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東京都知事選を受けて [ニュース]

何か大人の事情が渦巻く政治の世界を垣間見てしまい、そのゆがんだ公平性とカオス状態に嫌気がさすと同時に、話題にすら触れたくないと思うようになってしまった。

公平性という言葉は存在するのだろうか?

誰が当選するとかが問題ではない。
当初からの予想通り、自民公明が推す候補者が当選してしまうという自体が、どこの選挙でも起こっているというこの事実は一体何なんだろうか?

中央で行われている政治と、県や市町村との連携や政治的な仕組みは詳しくわからないし、特段わかろうとも思わないが、「私が代表に」と候補者が立候補しているのであれば、ガチの勝負をしなければ意味がない。

後ろ盾としていろいろな政党や政治的な影響があれば、知名度や勢力のある方が勝つのは当然のことであり、候補者本来の実力などではない。

その結果を受けて、「この結果は民意が反映された結果だ」と言えるのだろうか?

本来ならば、後ろ盾としての影の黒幕をなくした状態で、市長ならその市の代表にふさわしい人、知事なら県の代表としてふさわしい人を、その個人をしっかりと見定めて選ぶのが筋だろう。
しかしその反面、我々有権者も政治などに詳しい人間ばかりではないし、至極単純な理由で候補者を選んでしまう人が多いのも事実だ。

幼い頃からの教育が行き届いていないからこうなる。

誰しもが20才を迎えると選挙権を手にし、選挙のたびに投票のハガキが届くことになり、近くの公民館などへ出向いて投票をすることになる。
しかしその反面、選挙権を得たからと言って、投票のハガキが届いたからと言って皆が喜ばしいことだという認識を示してはいない。
まるで、督促状でも届いたかのような感覚で、選挙についての仕組みや考え方などを取り立てて教育されてきたことがない状態で、「最もふさわしい人を」と言われても、単純に人気投票のようなカタチの投票になってしまうのは当然だ。

誰もが通る道なのであれば、なぜ小学生や幼い段階で選挙についての特別な授業、カリキュラムなどがないのだろうか?
皆が政治家を目指すわけではないので、政治そのものに詳しくなる必要はないが、その政治家を選ぶための考え方は皆が真剣に学ばなければならないことではないのか?そちらの方が断然重要なはずだ。

だからこそ自分をも含め、それほど政治に詳しくない、ハガキが来たから義務なので行った、好きな政党から出ている人を選んだ、出身地が同じなので投票した、何かいい人そうだったから入れた。。。。。。。。。
こうなってしまい、国民市民が参加する政治などほど遠い結果になったり、投票率が低迷することになる。

投票を義務と位置づけるにもかかわらず、その土台となる教育が薄すぎて全く説得力を持たない。

はっきり言って、政治の世界というものがどのような流れをくみ、それぞれがどのように絡み合ってるかなどはわからないが、公平性こそが尊重されるべき事であり、義務というのであればそれ相応の対応が当然ではないのだろうか?

政治離れと一口に簡単に発しているが、これ以上溝を深めないためにも、それから日本の未来のためにも、有権者としての考え方や取り組み方、そして政治への参加について幼い頃からすぐにでも教えていくべきだ。


そうしなければ、このようなテイタラクな選挙が永遠に続くことになる。



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