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ドッジボールは学校教育に必要か否か [社会・風俗]

現在ネット上で論争になっている問題の一つに、ドッジボールというスポーツが学校教育に於いて必要なのかどうか、と言うものがある。

発言者のコラムニストはあくまで全面禁止などを求めるものではなく、やりたくない子供までを強制的に参加させないことや、実施するのであれば安全面に十分配慮するという事に対しての言及であるらしいが、人にボールを投げつける野蛮なスポーツであるとかイジメにつながるなど、ドッジボール自体を否定するような発言も目立つ。

学校という場所は、好きなことも嫌いなことも良いことも悪いことも全て体験できる人間形成の場所であり、学校に於いて様々な経験をすることで、自分に合わないものは避けて合うものは採り入れるという、取捨選択ができていくのではないのだろうか。

この発言をしたコラムニストも、「ドッジボールというスポーツは野蛮でイジメにつながる」と感じたのは、自分も子供のころに経験をしたからではないのだろうか?
もしドッジボールというスポーツが既に学校の現場から排除されていたならば、今回のような発言にはつながらなかっただろうし、問題になっていないだろう。
例えば「ペタンク」という競技があるが、多少名前を聞いたことある程度で、詳しいルールも知らなければあまり見たことすらない。つまり、経験したことがないため、その良し悪しや楽しさ、危険かどうかなど何も分からない。経験するということが如何に大切で、経験があるからこそ良し悪しを評価できることが分かるだろう。

大人もそうだが、特に子供の頃は様々なことを経験することが大切だと感じている。子供のころには気付いていなかったが、大人になってその大切さが身にしみて分かる。
暴走族と言う存在を容認するわけではないが、彼等は人が経験しないようなことをすることで、たとえ悪かろうが人間として経験した範疇は確実に増えることになる。彼等はそれら経験を語ることができるが、経験していない人間はそれを聞くことしかできない。暴走族に限らず一般社会に於いても、経験豊かな人間の方が様々な場面での対応力が違うことに気付くだろう。

だから、幼少期から大人の目線や判断だけで物事を整理整頓してしまい、与える部分と触れさせない部分を分けてしまうことに大きな疑問を感じている。
もちろん選択の余地なく、全ての子供に対して大人の強制力を向けることは悪でしかなく、本当に自分に必要なのかどうかを判断するのはあくまで子供たちであり、その補助的な役割として大人は存在しなければならない。




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