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昔の学校教育は優良教育

福島県から来た生徒に対してのイジメや恐喝などを見ると、イジメの質は確実に昔に比べ陰湿で過激になってきている。本来であれば教師も手を上げ声を荒げて生徒を咎めるところであるが、生徒に対する教師の対応も厳しさを欠き、手を上げることなく穏便に接することが求められている。

今の学生や若い世代の人間を見ていると、やはり自分たちが受けてきた教育に間違いはなかったと感じる時がある。今の40代は、学生の頃に教師から厳しさを教えられた最後の世代といっても良いだろう。



中学生の頃、学習塾に通っていた。宿題を忘れてもテストで点数が悪くても、とにかくホールに集められ、一列に並んで一人ずつ講師から思いっきりぶん殴られる日々だった。しかし一度たりとも恨んだことはなかったし、今でもそれは同じである。宿題を忘れる自分が悪いのだし、一生懸命教えてくれているにもかかわらず、テストで悪い点数を採る自分が悪いと思っていたからだ。ならば殴られずに済むよう宿題を忘れず、テストでも良い点数をとろうと努力した。

ある時などは、我々学生と年が近い大学生の講師が生徒の頬を涙ながらにひっぱたく姿を目にした。生徒の頬を打つ先生もつらいのだと思うと、今後は泣かせるようなことはしないで頑張ろうと思えた。
今の子にはそういう思いなど一切ないのだろうか?ひとこと怒鳴れば、パワハラだの言葉の暴力だの親がうるさく、最悪の場合教育委員会などに訴えられ、教師を辞めさせられるかも知れない。


正しい厳しさは体罰ではなく、人間形成においてとても大切で必要なことである。

怒れない教師の存在というのは、生徒を図に載せる事につながる。本来であれば一番矯正できる年齢である学生、悪いことは悪い、直すべき部分は直す教育をしなければ、教育本来の意味がないようにも思える。生徒に対しての先生は、先に生まれたというだけでなく様々な経験や知識を持っている存在である。単純に生徒が嫌いで憎んで怒鳴りつけるのではなく、正そうという思いで助言をしている。(一部違う人もいるのは確かだが)

福島から来た生徒にしても、これまでの教育であれば、本気でその生徒たちをしかりつけ一切いじめることなど出来ないようにしただろう。しかし、教育も変われば教師も変わり、生徒の考え方も大きく変わってしまった。悪いことすら悪いと簡単に発言することが出来ないような風潮が今の教育にはある。

もしも日頃から厳しく接する機会があったなら、少しは状況に変化がもたらされていたかも知れない。厳しさを求める生徒も少なからずいるようだが、世間一般的な流れからすると、軟弱で腫れ物に触るような対応しか出来ないのが実情。


社会人になっても、例えば40過ぎの年代で声高らかに「●●ハラ」だと訴えている人は少ないのではないだろうか。もっともっと若い世代で、我々の頃とは違う、生ぬるい教育しか受けてこなかった「腫れ物世代」が、十分に我慢することもせず自分の権利だけを主張しているのだろうと思う。これは全て幼き頃に受けてきた教育すべてが影響していると言ってもいい。

何度も言うが、幼い頃に厳しさは必要。将来社会に出て学んでいては手遅れである。
何でもかんでも簡単に自分の権利だけ主張する大人にならないためにも、昔あった教育を現代に採り入れることも考えた方が良いのではないだろうか?


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