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神戸ルミナリエは単なる金儲けの場と化している [社会・風俗]

もう辞めた方が良いのではないか。

これは、今に始まったことではないし、何度も言い続けてきている。
事実、開催数年後に違和感を感じている人は存在し、遺族の間からも疑問の声は出ていたはずであるが、主催者である神戸市などは聞き入れず、今の今までながながと催しを続けている。当時毎日放送は、テレビやラジオを通じて現状などをありのまま報道していたが、やがて離れていった。何か外圧などあったのだろうか?

他府県の方や地震を知らない若者は、特に意識することなく「神戸の冬の風物詩」として、主たる催しの趣旨は知らず、毎年楽しみに来られているのかも知れない。知らずに来られる人たちに責任はない。悪いのは、催し本来の意味を真剣に受け止めることなく、地震という表現を用いお金儲けしようと企む主催者である。本当に愚かと言おうか情けなく感じている。


皆様に真剣に考えて頂きたい。
最近は物事を真剣に考えない人が増え、何でも楽しければ、自分が満足できれば深い意味などなくて良いという風潮があるように感じる。


そもそも神戸ルミナリエは、阪神淡路大震災で亡くなられた方々の御魂を鎮めるために始まり、本来であれば厳かで静かに祈りを捧げるような、そんな催しでなければならないし、当初はその趣旨で始められたはずである。遺族や被災者も全て賛同したわけではないが、それならばと開催に至ったのだろう。

恐らく開催当初の数年間は趣旨から外れず、本当に被害に遭われた方々を思い開催されていたことであろう。現在、地震から20年以上が経過し、経験が積み重ねられて月日が経つと、その重みは徐々に薄れ本質が見えなくなってきた。

神戸ルミナリエのゴール地点である東遊園地。その周辺には神戸市がひと区画数万円で店を出せる権利を売り、ここぞとばかりに儲けようとしているとしか思えない。「鎮魂」の場に屋台や盛り上がりは必要だろうか?様々な考え方が存在し、中にはお金を儲けることも必要だと思う人も居るのかも知れないが、開催趣旨を考えると必要性は全く感じない。

一度でも行ったことのある方ならわかるであろうが、周辺はまるで夏祭りや夜店の様相を呈し、一切地震のこと関係なく騒ぎ・楽しみ、ゴミをまき散らしている。一体何なのだろうか?

近年は来場者数も減少し、継続するための財源も確保が難しいという。
当初から「何年間だけ開催します」と始めるべきだったのかも知れない。
お金がなく「どうしよう」と言うのであれば、無理をせず辞めれば良いことだ。
一部の人の間では「まだまだ完全に復興していない」という声も聞かれている。
しかし街作りもほぼ完成し、生活に不便はほとんど感じなくなっているのは事実。
「復興のため」と掲げるのであれば、もう十分その役目は果たせたのではないのか?



それでは、神戸ルミナリエの何が問題なのだろうか?
と改めて考えてみた。

それは、地震と金儲けを結びつけていることにある。
例えば「地震で命を落とした方々の鎮魂」と言うのであれば、静かに手を合わせて祈り、その日一日を彼らのために祈り捧げる日にすれば良い。また、金儲けや冬の風物詩、光の祭典として多くの人に来てもらいお金を落としてもらいたいのであれば、「地震」という文言は一切使用しないことだ。
地震や鎮魂という言葉と金儲けは、一切共存させてはならない。


私自身、数年前に家族とともに初めて訪れた。もちろんどのような経緯で開催されているのか、その趣旨は理解していた。しかし、実際には趣旨にそぐわないその光景にゲンナリし、それ以来一切足を向けようとも思わない。

一体何が鎮魂なのだろうか?
人の命をどのようにとらえているのだろうか?
本当に神戸市は考え方が緩いと感じている。



話はずれるが、先般行われた市長選に多少関わる機会があり、神戸市の実情など聞かされた。
神戸市がなぜ、60余年もの間助役が市長になり続けているのか?それは、彼らの利権を守り続けたいからだろう。新たに市以外の一般の血が入れば、これまで自らが守り続けてきた城を奪われ、せっかく自分たちがオイシイ思いをしてきたのに、それが出来なくなるからだろうと考えている。
しかし、これが社会の実情であり、政治という仕組みなのである。弱い犬ほどよく吠えると言われればそれまでであるが。

そして先般の市長選において、当時助役が当選した瞬間に映し出された事務所の光景が忘れられない。それは、知事や有名政治家などと共に皆が揃って万歳する映像だった。「そういうことか」と悟った瞬間であった。「これでまた我々の利権が守り通せた」という安堵の瞬間にしか感じられなかった。



このような本質から外れた締まりのない催しは、今後毎年続けられるべきでないと感じている。
もし仮に続けたいのであれば、市や県は一切関わらず民間企業や団体などに委託するか、完全に地震とは切り離して観光目的で一つのイベントとして続けるべきだ。阪神淡路大震災後、世界的にも大きな地震やその他大きな災害が起きている。神戸の実情を知らない各被災地は、神戸市の良い部分だけ参考にして頂きたい。

本当に「ルミナリエ」の現状・実情を感じ、知ってもらいたい。実際には「楽しみに来る」催しなどではないと言うことを。
地震という、いわば人の心を揺さぶるような悲惨な事象で同情を引きながら、実際には経済活動に利用している現状は、このまま放置しておいて良いわけがないし、今頃話題にあがるのは甚だ遅すぎる。

本当に真剣に考えましょう、地震で命を落とされた方々や遺族の方々のことを考えて。
本気で寄り添いたいと考えるのであれば、最低限できること。それは「忘れない」こと。



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